随意随想

弁護士って、正義の味方なのか?

大阪弁護士会 弁護士 桐畑 芳則

一、弁護士を直接に規律する法令の中心的なものとして弁護士法という法律がある。その第一条に「弁護士の使命」と題して、「弁護士は、……、社会正義を実現することを使命とする。」とある。つまり、弁護士にはその使命の一つに「社会正義の実現」がある。では、この社会正義の定義って何であろうか。「社会正義」を国語辞典で引いてみると「健全な社会生活を営むために必要な正義」とあって、「正義」を引くと「人が守り行うべき正しい道義」とある。現在、その定義にいう社会正義を果たして弁護士は本当に実現しているのか、少なくとも実現に向かって不断の努力をしているのかが、一般国民(世間)から問われていると思う。先ず、弁護士という職は、在野法曹と言われるところの民間業である。裁判官や検察官が国家公務員であるのとは対照的である。このことは取りも直さず弁護士の生活の糧は、国(即ち、国民の税金)から支給されることはなく、自ら稼がねばならないということ。端的に言うと、弁護士に対する国からの生活保障はないのである。このことは、これから述べる社会正義の実現という崇高な使命に実際上、大なり小なり影響を与えずにはおれないという意味ですこぶる重要な点である。弁護士は自営業ではあるが、さらに細かく言えばリーガルサービス業と言うことができる。法的アドバイスを提供し、法的代理・代行業務を行って顧客に利益をもたらせる業務を担う。そして、その業務の対価として弁護士報酬をそのクライアントから頂く。その意味で、弁護士業は自営業そのものと言える。だが、純然たる専ら営利追求を目的としている営利事業ではないし、営利事業であってはならない。反面、弁護士は無償、ボランティアでリーガルサービスを提供することもできない。ここが弁護士業の特異性があり、かつ、また非常に悩ましいところである。一方で社会正義の実現や基本的人権の擁護を使命とし、他方でお金も稼がなければならないからである。弁護士はこの二つの難しい課題を如何にバランスを保って克服するかで苦悩する。これは弁護士業の宿命的課題とも言える。

 昔から、弁護士を揶揄する言い方で「三百代言」という言葉がある。弁護士は依頼者から金を得るためには、社会正義などどこ吹く風で依頼者に迎合して黒でも白と言いくるめてしまう、いいかげんな職業人という風刺である。しかし、圧倒的大多数の弁護士は基本的人権の擁護と社会正義の実現を基本理念として、依頼者ベッタリではなく、社会良識と高い倫理意識をもって依頼者の利益を守り、救済を行う活動をしている。

二、では、以下、右一で述べたことが実際の弁護士の活動においてどのような様相を呈しているのか、具体的に見てみよう。

(一)刑事事件における弁護人活動―犯罪を犯した容疑で逮捕・勾留された被疑者や起訴された被告人が極悪非道の犯罪を行ったことが客観的にほぼ間違いない、あるいは行ったと断定できるのに、何故そのような人間を弁護士は弁護するのかという社会からの疑問や批判は以前から少なからずある。しかし、これらの疑問や批判には胸を張ってこう答えることができる。どんなに極悪非道な犯行を行ったとされる被疑者・被告人でも適正な手続の下でしか処罰してはならないし、仮に有罪であったとしても適正な量刑がなされなければならない。このような被疑者・被告人の権利・利益を守ることができるのは、弁護人以外にはいないからであると。このような弁護士の刑事弁護活動も社会正義の実現の一つなのである。

(二)民事事件・商事事件の当事者の代理人業務―これらの事件の片方当事者の代理人となった弁護士はそのクライアントの利益擁護のために交渉したり訴訟代理人として訴訟活動をすること自体は何ら問題ない。ただ、弁護士のなす業務活動は法令と弁護士倫理規程を遵守し、さらに高い識見と社会良識をもって行う必要がある。ただ、ごく稀ではあるが、ときにはこれに反したり、反しそうな活動をする弁護士もないわけではない。さて、一般的に言って、相手方から見れば反対当事者代理人弁護士の業務活動は相手方の利益に反するものとならざるを得ないが、これは事件内容そのものが互いの利益が相対立する関係にある以上、致し方ない。このような弁護士の業務活動も社会正義の実現の一つであると言える。例えば、弁護士が公害問題で住民の代理人となって国や自治体や企業と法的に闘うケース(原子力発電所の操業差止め請求事件なども然り)や、労働事件で企業側又は労働者側の代理人として弁護士が相手方と法的に闘う場合もそうである。他にも、医療事故事件において弁護士が病院側又は患者側の代理人として相手方と法的に闘う場合も同様である。

三、結論として、ごくごく僅かの例外的存在は残念ながら否定できないとしても、ほとんどの弁護士はやはり社会正義の実現を目指して(正義の味方として)苦悩しながら日々頑張っていると言うことができる。

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