随意随想

「炭水化物が人類を滅ぼす?」「ケトン体が人類を救う?」

NPO法人JMCA理事長 羽間 鋭雄

 この刺激的な表題は、最近話題の、二人の医師によるそれぞれの著書の題名です(「炭水化物が人類を滅ぼす」夏井 睦 光文社新書、「ケトン体が人類を救う」宗田哲男 光文社新書)。健康と女性の美容願望から、「…ダイエット」の情報が、あらゆるメディアで日々途切れることなく飛び交う昨今、糖尿病治療に成果を上げている医師たちの主張を発端として広がりつつあるこの極端な「糖質(炭水化物)制限食」の勧めは、日ごろの食べ物から一切の糖質食品を除くことこそが、糖尿病治療にとどまらず健康のための最高の栄養食だと主張し、他分野の医師の中にも徐々にその支持者が増えているようです。勿論、糖質60%、タンパク質20%、脂肪20%の割合で、できるだけ多くの食品を摂取することを最良とする現在の栄養学の常識を疑わない医学や栄養の世界からは、当然多くの反論がなされています。海外でも、糖質制限食肯定派と否定派が、議論を戦わせ、前回の、「どっちがホント?」で述べたように、ここでもまた専門家の相反する発言で、専門知識の乏しい一般大衆は右往左往させられてしまいます。

糖質制限食とは

 最近、日本で急速に「糖質制限食」が注目されるようになったのは、先に述べたように、糖尿病治療に極端な糖質制限食を取り入れることによって、それまでには考えられないような治療効果があることが次々と確認され、その事実をマスメディアが取り上げるようになったからです。糖尿病とは、生命活動の重要なエネルギー源である血中のブドウ糖を必要に応じて血中から筋肉や肝臓に取り込む働きをするインシュリンの働きが悪いために、血中ブドウ糖濃度が必要以上に高くなる病気のことを言います。高血糖が続くと徐々に血管が侵され、網膜症、腎症、脳血管障害、心筋症や壊疽による手足の切断など様々な重篤な病状に陥る危険性があります。遺伝的要素が高いT型糖尿病は全体の5%に過ぎず、95%は、過食、運動不足などの生活習慣を原因とするU型糖尿病だといわれています。そのため、標準的な治療法は、インシュリン投与に併せて食事療法、運動療法が取り入れられています。この場合の食事療法は、カロリー制限は厳しく課しますが、基本として、栄養バランスを重視した栄養理論に則った食事指導のため血糖値が上がり、そのためインシュリンの投与が必要になるのです。そして、いったんインシュリンに頼るようになると自力での治癒はほとんど不可能だと思われます。極度の糖質制限食の意味は、できる限り血糖値を上げないことによって、インシュリンが必要のない体を作るというところにあります。

ケトン体とは

 しかし、この糖質なしで生命を維持するという考えは、従来のエネルギー代謝の理論ではあり得ないことだったのです。肉体は、主にタンパク質、脂肪、ミネラルからできていますが、その肉体を生かすエネルギー源は、糖質と脂肪であると信じられてきました。特に、大量のエネルギーを使う脳は、分子が大きい脂肪を取り込むことができないため、糖質だけがエネルギー源になると考えられてきました。これらの考えは、今も大筋では変わっていません。今までは、脂肪の分解によって生じるケトン体が体内に蓄積すれば、体液が酸性にかたむき、ケトアシドーシストと呼ばれる不具合な状態になるため、ケトン体は悪者として扱われてきました。しかし、最近、ケトン体が、脳を含めたすべて生命活動の有効なエネルギー源になることが分かってきたのです。しかし、エネルギー代謝の過程で糖質が十分あれば、ケトン体がエネルギー源の主役になることはありません。そのため、極力糖質の摂取を制限して脂肪の代謝を高め、ケトン体の産生を促してケトン体によるエネルギー代謝の回路を確立すれば、ケトン体を生命活動の主なエネルギー源として、糖質なしでも十分生きていけることが、糖質制限の糖尿病治療の結果によって実証されたという訳です。日本の糖尿病人口が約25%(3千万人以上)、その医療費8兆円がさらに年々急増していることを見ると、日本においても糖尿病対策が重要な課題であることは間違いありません。

その功罪

 かといって、みんなが極端な糖質制限食が必要であるとも、それが一番望ましいとも思えません。むしろ、糖質制限さえすれば動物性食品や脂肪食品はたらふく食べてもよいと誤解されかねない糖質制限食に伴う多くの情報は問題があると思えます。人類に幸せをもたらした科学は、その成果の扱いによって、功と罪の両面をもたらすことが珍しくありません。原子爆弾や公害問題もその一つといえますが、健康や医学についても全く同じことが言えます。運動、サプリメント、薬、食事法などなど、そのやり方や扱い方によっては功罪相半ばすることを常に思慮することが大切です。

 私は、有効な健康法を求めて、運動、食事など様々な実体験をしながら現在に至り、今は、体を鍛えることより手入れに重点を置き(体を動かすことは怠りませんが)、食事は、米も小麦製品も菓子もほとんど摂らない完全な糖質制限と、動物性食品皆無で生野菜を主食とするという、栄養学の教えには程遠い完全な菜食を10数年続けていますが、74歳の今、蛋白質十分の申し分ない栄養を摂って、100s以上のバーベルを上げていた若いころよりはるかに元気です。酒に強い、弱いがあるように、私には肉が良くないと思えるように、他の食べ物のすべてについても、それを生命にとって有効に使える能力が人によってみな違うのだと思えてなりません。どんな情報もそれを鵜呑みにするのではなく、自ら試してみて、自らの体にその是非を尋ねることこそが一番正しい生き方だと思います。

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