随意随想

沖縄の桜

桃山学院大学教授 石田 易司

【介護保険の「新しい総合事業」】

 沖縄の桜は私たちが見慣れた桜と違って、桃のように濃いピンクで、比較的小さな木にパラパラと咲くのが多いそうだ。そんな桜の咲くころ、沖縄へ行った。主たる目的は久高島。沖縄へはこれまで何度も行っているのに、行ったことがなかった本島東部の離島だ。私たちが古事記や日本書紀で学んだ神話のように、沖縄にも国生みの神話があり、沖縄発祥の地久高島は、首里を都にした王朝時代からずっと信仰の対象だった。今も一般人は立ち入り禁止のエリアがあって、島の人たちはそこで祈りと儀式を続けている。その離島の高齢者の暮らしの調査が主な目的だったのだ。700人もあった人口が今や160人ほど。まさに限界の集落だった。

 しかし、調査が一日余ったので、沖縄本島内のどこかへ行こうと、北の端っこの名護へ行くことにした。バス停でバスを待っているとき、一人の高齢者が話しかけてきて、私が本土から来たことを確認すると、米軍基地の本土と沖縄の分担の不公平さを語り、沖縄独立論をぶち始めたのだ。無責任な言い方だが、日本の犠牲になっているより、沖縄国の独立も面白いと思って聞いていると、バスが来て、辺野古経由で名護へ行くと運転手が言った言葉に誘われて、乗る予定でなかったそのバスに飛び乗ってしまった。高速道路を走れば2時間弱で行くバスは、ローカルな田舎の町をぐるぐる回って、渋滞もあって、結局名護まで3時間ほどもかかかることになるのだが、その終点間近にキャンプ・シュワブのゲート前を通り、そこで辺野古の埋め立てに反対して座り込みをする100人もの人をバスの窓から見ることになった。

 団塊の世代の私たちにとって、政府の姿勢に反対して、座り込んだり、デモったりすることは50年ほど前に見慣れた光景であるはずだが、桜の花が咲き、ホテルが全く取れないほどの観光客で浮き立っている沖縄の都会の風景とは全く違う異様な光景に写った。そして、座り込んでいる人のほとんどが、私と同世代の高齢者だった。

 さらに驚いたのは、キャンプ・シュワブのゲート付近で警備にあたっているのも日本人だったことだ。こんな光景の中で、例の「土人発言」が起こったのだと思った。日本人同士なのにという感傷は、ここでは通じないのだと改めて思った。

 バスの乗客がほとんどいなかったこともあって、いろいろ質問をする私に対して、運転手さんも自分の認識している沖縄の状況を真剣に語る。勤務中にこんな政治的な話をしてもいいのだろうかと、客の私が心配するほどだった。

 そういえば、久高島へ行く前に会った沖縄大学の学長も、沖縄の歴史を語りながらトランプ米大統領のような偏狭な愛国論を否定し、国家という壁を高くせずに、沖縄の独自性は守らなければならないと、つまり、沖縄独立論には加担しないし、できれば日本でもない、インターナショナルなエリアにすることを望んでいると語っていた。沖縄タイムスの元記者は、沖縄の精神障がい者やハンセン病患者のおかれた戦後の状況を語りながら、戦争の結果、沖縄の福祉が破壊され、占領の結果、沖縄の福祉が遅れたと語った。「平和なくして福祉なし」と語った学者がいたが、まさにその通りだと思った。

 3時間のバスの旅は、田舎のバスの固いクッションでお尻が痛く、前夜の飲みすぎたビールのせいで、トイレに行きたくて仕方がなかった。

 ちょっといいづらいのだが、名護へ行こうと思った本当の狙いは、キャンプ中の日本ハムの大谷翔平選手を見に行くことだった。しかし、もしかしたら休養日だったのかもしれないけれど、けがをしている彼はユニフォームも着ていなくて、記者たちに取り囲まれてインタビューに答えている姿を遠くに見るだけだった。若々しく輝いている大谷翔平選手より、高齢者ばかりが座り込んでいる辺野古が印象的な旅だった。

 沖縄の桜と本土の桜、同じ桜なのに、少し違って見えた。

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