随意随想

「どのように最期を迎えるか?」

NPO法人JMCA理事長 羽間 鋭雄

私は、仕事柄、常々、健康に関する書物や情報には多く触れていますが、最近話題になっている「健康」と「死」という、一見対極をなす数冊の書物から、改めて「生き方」と「死に方」について考えてみたいと思います。

「健康法」については、いずれも常識にはない「一日一食」の生活で、人並み優れた健康と若さを手に入れた医師(石原結実、南雲吉則)自身の体験から生まれた、まさに、真実の「生きた健康法」であり、一方、「死に方」については、終末医療や緩和医療の医師(朝日俊彦、中村仁一、大津秀一)として、数多くの死を看取った自らの体験から生まれた、真実の「よい死に方」を述べたものです。いずれも、理屈や講釈を超えた、自らの体験から出たことばとして重みがあり、大きな感動を与えられるものでした。

終末医療や緩和医療に携わっているこれらの医師は、それぞれ、死についての多くの書を著しておられますが、そこに共通して見られることは、老、病、死は誰しも避けられないものであることを明確に自覚して、死と正面から向き合うことの大切さと、「死」を不幸であると捉えることの誤りを指摘していることです。

「人は、生まれたときから期限付きの死刑囚のようなものである」「死が、本人にとっても周りの人にとっても幸せであることは決して少なくない」「延命処置は、しばしば安らかな死を妨げ、苦しみを長引かせる拷問にもなる」「死が不幸であるならば、すべての人が不幸になって死んでいくことになる」などなど、死に行く人やその家族とともに苦しみ、悩む中で、数多くの患者のさまざまな死に直面してきた医師ならではのことばの数々は、ややもすれば口に出すことすら憚られる、自分や家族の「死」について、日ごろから考え、語り合うことの大切さを強く訴えるものです。

そして、反面、そこに見られるもう一つは、病、老、死に対するある種の諦観からでしょうか、病も老も死も自然の流れに身を任せて、健康だアンチエイジングだとがんばることはないではないか、という空気がそれとなく漂っていることです。

一方、一日一食という、普通の人には到底真似ができないような食生活で健康を得ている人のことばの中には、死について語られるものは見られません。しかし、口先だけではなく、難しいことをやり続けてその正しさを実証して見せている姿には、何物にも勝る説得力があり、感動するとともに、心から敬服させられます。

彼らと同じく、人一倍健康に気を配っている私は、努力することなく病気や老化に身を任せていることが、「よい死」につながるとは決して思えません。「健康」は、「よい死」のために不可欠なものだと考えています。

私は、健康づくりの指導者として約50年間、健康とアンチエンジングを求めてさまざまな健康法を実践し、10数年前から、果物と生野菜だけという、まさにちょっと真似ができない食生活にして現在に至り、まもなく70歳を迎える今、43歳という体力年齢の評価を得、数kmのダウンヒルを一気に滑り降りるスキーにおける体力は、若者を凌ぎます。

でも、一方で、若い頃から、常に「死」について真剣に考え続けています。

今回、「死」について考えるに当り、ちょうど10年前、母が亡くなったときに思いを馳せて、感慨深く、改めて「死」への考えを深めています。

私と母は、母が元気でいる間から、どのようにして死を迎えるかということについて、折に触れてよく話し合っていました。母の姉が、亡くなるまでの3年間、あちこちチューブにつながれて、話すこともできないまま病院のベッドに横たわっているだけの姿を見ていた母は、「寝たきりになって生き続けたくはない」という強い思いを訴えていました。

87歳の母が、突然半身不随になったとき、病院に入れることはしないと決めていた私は、早速その日のうちに電動ベッドと車椅子を取り寄せて長期戦になるかもしれない介護生活の準備を整えました。抱き起こして食事を口に運び、自分にはとてもできないと思っていた母のおしめを換えることに、苦痛より、むしろやっと親孝行ができるという喜びを味わうことができました。しかし、それもたった3日間でした。徐々に意識も薄れていって苦しむこともなく、ちょうど倒れて1週間後に亡くなりました。

なぜ病院に!?というそしりもあるかもしれません。しかし、私は、母が一切医療を受けていなかったから、普通の生活ができる状態のまま死を迎えることができたに違いないと思っています。母の死に際して私が躊躇なくそのような判断をすることができたのは、それまで母と幾度もそのことについて話し合い、その気持ちを理解していたこと、母がすでに90歳に近かったこと、そして、私自身が、動くことができなくなり、生きていることが楽しくなくなったら生きていたくない、という明確な意思を持っていることなどによります。

当然来るべきものとして、淡々と受け止めることができると思っていた母の死は、やはり大変悲しく、切ないものでした。母が、これでよかったと思ったか、もっと生きたいと思ったのか、今も、ずっと十分自分を納得させることができないまま、母を思うたびに心の痛みを感じています。

そして「死に方」を説いたこれらの書物に出会った今、とくに、無理やり延命することの愚かさを説いた著書、「大往生したければ医療とかかわるな」(中村仁一)は、私の、母の死における今も残る心の痛みを、ずいぶんと和らげてくれるものでした。

定年退職以来一切の健康診断を受けず、一粒の薬も口にしないで、体中少しの痛みも苦痛も感じることもなく、疲れ知らずで、何日でも続けてスキーやゴルフが楽しめる今、私は、本心から、「今死ぬのが一番幸せ」と思って、毎日を過ごしています。尊敬する三浦敬三氏のように100歳でスキーが楽しめれば幸せだなぁと思い、また、健康づくりのプロとして、自分の生き方の正しさを、身を持って知らしめたいという欲求はありますが、それより何より、私の中にあるものは、何歳まで生きるということより、「健康のまま死にたい」という強烈な思いです。だから、「健康で幸せな今死ぬのが、一番幸せ」と本気で思えるのです。

「生きていることが楽しくなくなったら、自らの意思で食を断って死ぬ」ことを決めている私の最後の課題は、自らの意思で死を実行するために、断じて認知症になってはならないことです。

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