随意随想

「ボランティアは生きがいになるか」

桃山学院大学教授 石田 易司

高齢者の生きがいづくりにボランティア活動は欠かせないという人がいる。家にいるより外へ出かける場面を作ったほうが、つまり、「亭主元気で留守がいい」というのが、いくつになっても家庭円満の秘訣であるとか、人にありがとうと言ってもらうことがうれしいとか、定期的な活動は健康にもいいとか、いろいろ理由はあるだろうが。

時々出会う名前も知らないおじさんの話をしよう。どこのだれかは知らない月光仮面のようなこのおじさんは、よく街を歩いていて、私だけでなく、出会う人、出会う人に「おはようございます」と声を掛けている。しかも飛び切りの笑顔で声を掛けている。

ある朝、車に乗っている時、緑の旗を振って、子どもたちの通学の安全を守るボランティアをしている彼と偶然に出会った。「いい活動をされていますね」と私。「子どもたちがかわいいですから」と彼。

そんなおじさんを見ていると、ボランティアが生きがいになっているということは正しいと思う。どこの誰かは知らないけれど、いつも笑顔で明るく暮らしているおじさんは、緑の旗を振るボランティアが生きがいであるようである。街でいろんな人に笑顔で声を掛けるのも彼にとってはボランティアで、楽しいことなのである。

こうした結果としてのボランティアの効能もあるだろうけれど、スタートの動機そのものが生きがいになることもあるに違いない。

東北の災害支援にたくさんの人が行った。バスの座席で10数時間というと、高齢者には簡単に行けそうもないと思っていたら、飛行機で行くボランティアというのをやっている町があった。数万円の飛行機代と宿泊代を払って参加するボランティアだ。被災の街にお金を落とすことが目的で、動機として、支援したいと思うことが大切らしい。その効果の大半は東京の飛行機会社に貢献するのだろうが。

バスで行く若者と同じ旅館に泊まって、若者は働き、高齢者はそれを見て、若者を励ましながら、自分の善意に酔いしれて、おいしいお酒を飲む。それで、それなりの一体感を感じて盛り上がる。自分がいい人であることを信じられるボランティア仲間の輪の中にいることが生きがいになる。高いお金を払ったことも苦にならない。

それでは若者たちはどうなのだろうと、東北へ行くボランティアバスに乗る若者を調べてみた。

多くの若者たちは利他的動機、つまり、ちょっとでも役に立ちたいとか、こんな時に黙って見過ごせないという正義の動機で動いている。多少のお金もかかるけれど、無報酬、非営利のボランティア活動なら当然だ。

中には、将来消防士になりたいからとか、彼女が行くからと正直に利己的な動機を書いた若者もいるが、多くが建前としてでもボランティアは利他的でなければならないということを知っていて、利己的な理由を書かないところに若者の素敵さを思った。

ところが中にこんなことを書いた学生がいた。高校時代から悪いことをして、親に心配ばかりかけてきた。大学に入ったけれど、アルバイトや街の盛り場をうろうろするだけで、とても4年で卒業できる成績を残していない。またまた親に心配をかけるだけの僕だけれど、この災害の様子をテレビで見て、いてもたってもいられなくなってボランティアバスに乗った。

最初は何でこんな遠いところまで来たんだと思って、一生懸命働いているやつを斜めに見ていたけれど、時間がたつにつれて、知らない間に一生懸命働いている自分に気づいた。もう一度被災地に来れるかどうかわからないけれど、東北へ来なくても、きっと僕は毎日を一生懸命生きるやつになるということを、自分で信じられるようになった。何もかもなくしながらそれでもがんばっている被災者や、何も求めず夢中で泥かきをしているボランティア仲間からそれを学んだと、彼は書いた。

こんな気持ちがきっと高齢者にもボランティアが生きがいになることを示しているんだろうと思う。

いっぱいの善意の人の中にいるのは、それだけで気持ちのいいものだ。ボランティアというのはそうした空間を私たちに提供してくれる。

今、老人クラブの会員になりたがらない高齢者が多い。町内会にすら入らない高齢者も増えている。

ボランティア活動も同様に、地域内の濃い人間関係が敬遠されているようだが、人と触れ合うことには生きがいにつながるプラスの側面もあるに違いない。それを信じあえる仲間たちに出会いたいものである。そうすれば老人クラブの活動やボランティア活動は生きがいになるに違いない。

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