随意随想

「“JUST DO IT.”≒¥「やってみなはれ!」」

同志社大学教授・運動処方論 石井好二郎

“JUST DO IT.(ジャスト・ドゥ・イット)”という言葉をご存知でしょうか?

この言葉はアメリカに本社を置くスポーツ用品メーカー「ナイキ社(NIKE)」のキャッチコピーです。1988年にナイキ社のキャッチコピーとして採用され、現在もいたるところで目にします。実は私自身も“JUST DO IT.”と記されたナイキ社のTシャツを持っています。

しかし、“JUST DO IT.”がどのような意味であるのか、それを知っている人はあまり多くはありません。私はスポーツ健康科学部に所属していますが、“JUST DO IT.”と描かれているナイキ社のスポーツウェアを着ている学生に尋ねてみても、その意味を答えられる者は極めて少数です。英文であるので訳語は何通りかありますが、私は好んで「やってみなはれ!」と訳して説明しています。

「やってみなはれ!」を聞いて、ピンとくる読者の方もおられるのではないでしょうか? サントリー創業者である鳥井信治郎氏、パナソニック創業者の松下幸之助氏が、よく発していた言葉と伝えられています。

新しいものにチャレンジする時、誰もしていないことをしようとする時、人は不安を感じます。失敗する可能性を並べ、結局は何もせずにただ安穏と過ごすことが多い。“何かをする”ということは“失敗する可能性もある”ということです。

失敗した時の責任追及を恐れると人々は何もしなくなる。失敗した責任を部下に負わせず、「失敗したら俺が責任をとってやる」との態度をリーダーが示すことにより、多くのチャレンジが生まれるのです。本田技研工業創業者の本田宗一郎氏は「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」との言葉を残しています。

2011年10月に亡くなったアップル社の共同設立者の一人であるスティーブ・ジョブズ氏(享年56歳)にも名言が多いですが、中でも2005年にスタンフォード大学での卒業生へのスピーチが有名です。“Stay hungry.Stay foolish.(貪欲であれ、愚かであれ)”の言葉で知られる名スピーチです。

この言葉をジョブズ氏は、卒業生達と同じ年頃に読んだ雑誌の最終号の裏表紙で見つけたものであり、「それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そして今、新しい人生を踏み出す君たちに同じことを願います」とスピーチを結んでいます。ジョブズ氏もチャレンジをし続けた人物であり、「失敗」よりも「信念」を失うことを恐れたのでしょう(このスピーチの中には、いくつもそれを感じさせるコメントがあります)。

「リーダーとはこうあって欲しい」との思いが募りますが、一方、権力というものは得た者の人格を変えてしまうものであることを、私たちは歴史から学ばなければなりません。

藩主の十四男に生まれ、自らを花の咲くことのない埋もれ木に例え、埋木舎と称した質素な屋敷に32歳までに15年間暮らした井伊直弼は、事実上の幕府の最高権力者である大老に就任した途端、独裁政治を敷き、安政の大獄と呼ばれる大弾圧によって、数多の有能な人材を処刑・処分しました。

直弼の暗殺事件である桜田門外の変は、作家の故司馬遼太郎氏をして「暗殺という政治行為は、史上前進的な結果を生んだことは絶無といっていいが、桜田門外の変だけは、歴史を躍進させた、という点で例外である」と言わしめています。

この直弼も藩主に就任した当初は、前藩主で亡兄・直亮の遺命であると称して、藩金15万両と米1万俵を領内仕民に配布するほどの優しさがあり、また、「言路洞開(身分を問わず諸人の意見を聞く)」「人材登用」など八箇条からなる御書付を通達するなどの柔軟性も持ち合わせていたのです。

最近、政治の世界では浮き沈みが激しく、リーダーと言われる方々の市民・国民不在の変節ぶりは目に余るものがあります。しかし、そのお歴々も、かつてはそのような人物ではなかったはずです。

フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926〜1984)は、権力者が権力を持ち続けることによって、他者への共感性が低下し、自分の行動が及ぼす影響について気づかなくなるのだと述べています。近年の権力に関する心理学実験からは、それを支持する結果が得られています。

私の勤務先である同志社大学の創設者新島襄は、「優柔不断にして安逸をむさぼり、いやしくも姑息の計をなすがごとき軟骨漢」を嫌い、「てき儻不羈(てきとうふき:信念と独立心に富み、才気があって常軌では律しがたいこと)」の学生であることを望んだ。てき儻不羈の人材が組織内に存在することが、共感性の証しであることに新島は気づいていたのではないでしょうか?

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