随意随想

「チューリップのアップリケ…僕のこぼれ話」

関西学院大教授 牧里 毎治

今回からのシリーズは、僕のこぼれ話ということで、大学の講義や大学外での講演でも話したことのない、かといって茶飲み話や酒宴での戯れ言でもなく、やや真面目だけど学問的でもない話を書いてみよう。学部長職についてなにかと話す機会がふえ、そこで話した内容が中心なのだが、入学式や学部セレモニー開会式の式辞で語ったことが主な内容である。学部長というのは学部行事の挨拶要員のようなものなのだが、参加者はわりと几帳面に聞いていてくれて、同じ話はできないので話の筋立てには苦労する。「チューリップのアップリケ」の話は、大学新入生の入学式とでもいう学部入学宣誓式の際の式辞として歓迎の言葉として話した内容である。

ご存知の方も多いかもしれないが、かつてフォークソングの神様と呼ばれたことのある岡林信康が小さな女の子の目線から作詞作曲した唄が「チューリップのアップリケ」である。歌詞の内容は、お母さんにチューリップのアップリケのついたスカートを買ってほしい、という切なくて悲しい願いの歌なのだが、離婚か別居してしまった母親と父親、そして家族をめぐる背景がこの少女の人生に重くのしかかっていて切ないのである。寡黙な父親は、娘にかまうわけでもなく、なにも語らず朝早くから夜遅くまで家業である靴職人として黙々と皮をなめし靴を叩いている。一生懸命働いても貧乏だから母親は帰って来てくれないのだろうか、別居したのか離婚したのか少女にはわからないけど、お母さんに買ってもらうスカートがはいてみたいと哀願するのである。

この歌詞を聴いて、新入生たちはどう思ったか分からないが、日々の暮らしのなかで現れる困りごとや苦しい事柄の背景には、感じたり考えたり、見ようとしたり聴こうとしなければ分からないことが世の中には沢山あるのだということを伝えたかったのである。大学というところは、資格をとったり、就職のためのステップアップのためだけに存在してるのではなくて、中学や高校では教えてくれなかった「本当のことを知る場所」なのだということを知らせたかったのである。中学や高校での基礎学力は必要だが、本当のことを知る専門知識や理解力をさらに高めないと、本当のことを知らないまま世に出て行くことになると訴えたかったのである。家族が一緒に暮らせない現実は、不幸の数ほど様々だが、世の中の不条理や矛盾、差別が見えない巨大な力として横たわっていることは、古今東西、普遍的な事実なのだということを知る力、理解する力を身につけてほしいと呼びかけたのである。

わが学部が人間福祉学部というユニークな名称だからかもしれないが、虐げられたり差別されたり社会の底辺から抑圧される人びとに寄り添って学問をしようとする特異な視点が、物事の本質や現象の裏にある真実を掴み取ってほしいという願いになるのかもしれない。「皆が大学に行くから」、「就職に有利だから」、「有名大学に入りたかったから」、「親や先生に勧められて」とか入学動機を語るけれど、大学はそういうところではないのだという冷水をまず浴びせる。大学全入時代を迎え、学力と好みを選ばなければ、どこの大学でも入れるご時世である。知識を詰め込むだけではもはや最高学府の大学とはいえない。親も含めて学生諸君、目を醒まして欲しい。浮ついた浅薄な形式だけの勉強からは、貧弱な了見の狭い考えしか身につかないが、言葉や現象の中に隠れている本当のことを深く広く知ることは、なによりも力強い知識と確信にみちた実践をもたらす自由を君たちに与えるのだ、と言葉をむすんだ。

ちなみに大学に関する蘊蓄を聞きかじりのまま、ついでに披露すると、世界でもっとも古い大学はイタリアのボローニャ大学と言われている。アメリカのハーバード大学もイギリスのケンブリッジ大学も日本の大学と比べても古くからの歴史と伝統のある有名大学だが、ボローニャ大学のほうが古いのだそうだ。アメリカのハーバード大学は連邦政府ができる前から設立されていたという話は有名だが、イタリアの地方にあるボローニャ大学は、1088年設立でさらに古いというのだから驚きである。当時は大学教授にも大学生にも垣根はなく、ともに真理の探究を求めたといわれている。「本当のことを知る」という営みは、時代を超えて、洋の東西を問わず、身分の隔たりも年齢差も無いということだろう。

フォークのシンガーソングライターである岡林信康のことは、もう記憶の彼方に埋もれてしまっているかもしれないが、40数年まえの学園紛争が華やかな頃、彗星のように現れ、ながらく隠遁してしてしまった人物である。「山谷ブルース」や「友よ」は当時の学生たちに愛唱されたものだが、当の本人は、路上ライブやコンサートを好み、マスコミ嫌いでほとんどテレビには出演しなかったことも有名である。何曲かは、放送禁止になってしまって、その権力批判は痛烈だった。「本当のこと」を歌い過ぎたからなのだろうか。

「チューリップのアップリケ」も部落差別の不合理を歌った内容だが、静かな楽曲に優しい言葉で語りかけるように歌う言葉が多くの学生の心を捉え、いまだに語り継がれている。

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