随意随想

「安倍総理の英国医学誌への寄稿と新たな老化の段階「フレイル」」

同志社大学教授・運動処方論 石井好二郎

昨年の9月14日発行の英国医学誌「Lancet(ランセット)」に安倍総理の寄稿論文が掲載されました。ランセットは1823年に創刊された医学誌で、世界五大医学雑誌の一つに数えられる影響力の強い雑誌です。9月20日には外務省のホームページに、この論文の英文本文と和文が掲載され、用意周到に準備されたものであることが伝わってきました。このような医学誌に一国の総理大臣が、何故、論文を寄稿したのでしょうか?

安倍総理の論文は「我が国の国際保健外交戦略―なぜ今重要か―」と題されていました。論文の中で安倍総理は主に以下のことを述べています。(1)世界中すべての人々が予防・治療・リハビリなどの基礎的な保健医療サービスを受けられる状態である概念「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)」が重要であること。(2)我が国が同年5月に国際保健外交戦略を策定し、外交の柱の一つに「保健」を位置づけ、UHCを推進していること。(3)我が国が健康長寿社会を達成した経験を活かし、成熟国家として世界共通の課題解決に貢献していくこと。この中で、私が注目したのは3番目の項目です。

今年の4月15日、総務省は昨年10月1日時点で、65歳以上の高齢者が我が国の人口の25・1%であることを発表しました。つまり4人に1人は65歳以上であり、これは世界初の出来事です。すなわち、我が国の高齢化社会は他国が経験したことのない領域に突入しており、どこを参考にすることもできない。まさしく、長寿社会の一番手なのです。安倍総理は、我が国は国民皆保険によって、医療格差を減らし、医療費抑制を実現した、と述べています。そして、公的介護保険制度を導入し、高齢者の地域での自立・社会参加を進め、健康的な長寿社会の実現に向けての戦略を今$iめている、と記しています。高齢者の自立・社会参加は国際保健外交戦略を進める上で重要な証拠と言えます。

論文の最後に安倍首相は、我が国が一流国家たる意思、責任ある成熟国家として、自らの経験に基づき国際社会が抱える課題解決に貢献する用意があるとの強い決意を表明しています。高齢者が自立・社会参加している姿を世界に示してこそ、一流国家・成熟国家としての評価が得られるのではないでしょうか。

これが影響してか、国内の学会でも高齢者に対する様々な動きが出ています。その中で、皆さんの心に止めていて欲しい新たな呼称が、今年の5月に日本老年医学会より提唱されました。その呼称とは「フレイル」です。「フレイル」とは英語の「虚弱」を意味するFrailty≠ゥら来ており、「加齢に伴って、もう戻らない老い衰えた状態」との印象を与えますが、日本老年医学会は本来のFrailty≠フ意味には「しかるべき介入により再び健常な状態に戻るという可逆性が含まれている」ことから、Frailty≠フ日本語訳を「フレイル」とし、本来の意味の認知度を上げようとしています。

これまで、健康な状態から要支援・要介護に至るまでの中段階的な時期を、「老化現象」として見過ごされてきましたが、「フレイル」という呼称が知られることにより、その状態を早期に発見し、適切な介入をすることにより、生活機能の維持・向上を図ることが期待されます。日本老年医学会も「高齢社会のフロントランナーとしてのわが国においても、フレイルの意義を周知することが必要であり、高齢者の医療介護に携わるすべての専門職が、食事や運動によるフレイルの一次、二次予防※の重要性を認識すべきである」と述べています。

しかし、当の高齢者が「フレイル」を見過ごしてしまっていては何ともなりません。まだ、国内では「フレイル」の正式な評価表は作られていませんが、米国老年医学会の評価表を参考までに示します。

1.体重が減少
2.歩行速度が低下
3.握力が低下
4.疲れやすい
5.身体の活動レベルが低下

これら5つのうち、3つが当てはまると「フレイル」とみなされます(我が国では、記憶力の低下なども考慮した評価表が検討されています)。「もう、年だから」と見過ごさず、早めに対応することが肝心です。当然のことですが、「フレイル」の予防は、十分なたんぱく質、ビタミン、ミネラルを含む食事や、定期的な運動が基本です。

世界で未知の高齢化社会になった我が国が、一流国家・成熟国家として保健外交を世界に向け発信するためには、「フレイル」を知り、「フレイル」になることを予防したり、遅らせたりする高齢者の増加にかかっているのではないでしょうか。

※一次予防:病気の発生を未然に防ぐこと。二次予防:病気の早期発見・早期治療

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