随意随想

寄贈と贈与…僕のこぼれ話

関西学院大学教授 牧里 毎治

 祖父母の孫への教育費贈与など生前贈与や遺贈に一部では関心が寄せられているが、所得や資産の世代間格差が話題になっている。戦後の社会保障制度の充実で年金などが整備されてきたが、年金制度も成熟期を迎え、保険料拠出よりも年金給付のほうが上回っていており、高齢者世代と養育費や教育費が必要な若者世代との所得・資産格差が問題になってきている。確かに大学などの高等教育に関わる費用は高騰しているし、大学を卒業しても非正規雇用しか就職口のないワーキングプア状態の青年たちも多い。そのような世代間格差を縮める方策のひとつとして高齢者の所得・資産を若者世代に移転させようとする試みであるかもしれないが、どの程度、贈与や遺贈は進んでいるのだろうか。  そこで少し、贈与について考えを巡らせてみたい。贈与は素直に見れば、要するにプレゼントやギフトということになるが、社会を成り立たせる潤滑油だと思えば、いろいろな顔が見えてくる。

 バレンタイン・デイやホワイト・デイのチョコレートは、異性間の愛の告白の名の下にプレゼントするわけだが、昨今のデパートの洋菓子売り場の盛況を見ると、いささか庶民が踊らされているようにも思えてくる。異性に好かれたい、愛されたいと願うのは万国共通だろうが、その愛や恋の気持ちをチョコレートにまぶして沢山買わされているきらいもないではない。

 USAの小売業は12月のクリスマス商戦が年間売り上げの大半を占めるという噂もあるが、キリスト教国ならではのプレゼント現象かもしれない。ご存知のかたも多いと思うが、北アメリカにしろ、イギリスにしろ、クリスマス・プレゼントは、親から子へのプレゼントだけでなく子から親へ、はたまた夫婦の間柄でも恋人の間でもプレゼント交換される。ギフト業界にとっては親子の愛も夫婦・恋人の愛もビジネス・チャンスになるのである。

 海外のレストランやタクシーに払うチップや大衆演劇のおひねりは小銭を贈与するけれど、その対価は予想以上にサービスが良かったという結果に対する評価行為だろう。しかし、よくよく考えると必ずしも高くないウエイターや俳優の低賃金をカバーするのがチップやおひねりかもしれないのである。穿った見方をするとチップやおひねりを当てにして雇い入れる側は安い給金にしているのかもしれない。贈与もビジネスといえば身もふたもないが、贈与する・される間に直接的に金銭の授受がなされるわけはないが、その関係を支える背景には社会的習慣や経済的交換が存在しているということなのである。

 贈与といえば、すぐに思い出すのは、その名の通り『贈与論』を著したフランス文化人類学者のマルセル・モース(Marcel Mauss)だろう。ポリネシアやメラネシアなどの贈与と返礼の習慣をつぶさに調べ上げ、贈与制度がいかなる意味をもつかを明らかにしたことで有名である。詳しい解説は割愛させていただくが、モースによれば贈与制度もいくつかタイプがあり、それが島々の社会を支える原理になっていることを説いたのである。

 特にポトラッチと呼ばれる贈与習慣は、贈与が島々の社会の間では義務となり、物を受け取ることも義務とされていて、島社会の秩序を保ち、平和な生活や人間関係を安定させるものだったのである。ポトラッチは訳しにくい文化人類学用語だが、贈り物合戦のようなもので、権力のある首長に島々の首長が権威に従い、プレゼントを競うわけだが、力のある首長からは必ず倍返し以上の贈り物を授かり、それを受け取らなければならないとされたというのである。そうやって島々の間の秩序を維持したということを発見したのである。

 関西ではお中元やお歳暮で贈り物をいただくと、半返しという習慣があるらしいけれども、ある種、半分の見返りのある贈与習慣ということだろうか。ポトラッチは、倍返しなので事情がやや異なるが、贈与関係を巡ってはなにがしかの社会関係を維持させる作用が働いており、それが時代や地域の文化に依拠してさまざまな贈与類型を形成しているともいえる。要するに現象的には「見返りのある贈与」と「見返りのない贈与」が観察されるけれど、行き着く先の究極には社会関係を支える原理が働いているということなのだろう。

 寄付や寄贈は、直接的な交換関係ではないので、「見返りのない贈与」ということかもしれないけれど、見えない期待を含めれば、愛情や信頼や共感を得ることを期待してプレゼントするともいえる。金の切れ目が縁の切れ目という殺伐とした社会だからこそ、契約関係という金銭関係には期待できないなにか、貨幣では測ることのできない無償の愛や友情、絆、繋がりを求めて寄付や寄贈をするのだろう。「見返りのない贈与」というけれど、見えない愛や友情、絆、繋がりを求めているということで言えば、見返りのない贈与などないのかもしれない。

 ギフトという言葉の原義には贈与という意味以外にも天から与えられた才能や能力という意味もある。人それぞれが得た能力を社会に還元し、資産を社会に寄付することも無縁社会に求められる「お返しの贈与」なのかもしれない。

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