随意随想

運動禁止

NPO法人JMCA理事長 羽間 鋭雄

 先日、3月12日の「世界腎臓デー」に合わせて、日本では、慢性腎臓病(CKD)の啓発イベントが集中的に開かれるという記事を眼にしました。CKDは自覚症状のないまま悪化し、人工透析などが必要な重い腎不全になるという恐ろしい病気の一つですが、その予防には、運動が重要だとされています。

 そして、その記事を読み進めているうちに、私にとっては、実に驚くべき内容に出会いました。それは、腎臓病でもっとも重症な腎機能不全に陥った透析患者に運動療法が取り入れられているということでした。

 私は、1965年から40年間に亘り、大阪市立大学で体育教員として勤務していましたが、その間、毎年、「運動禁止」の診断書を携えて体育実技の見学許可を求めてくる学生が途絶えることがありませんでした。「見学」の理由は、慢性疾患が多く、当時は、特に慢性腎臓病に関しては「安静」が絶対条件だと考えられていました。そして、その当時の知識のままいた私にとっては、透析患者に運動をさせるということに大変な驚きを覚えたということです。

 しかし、私は、当時から、少なくとも日常生活が普通に出来る状態である限り、どんな病名をつけられようと、全く身体活動をしないより、むしろ、その状態に見合った適当な運動をすることがより望ましいに違いない、という強い信念を持っていました。

 米国に追いつき追い越せのスローガンを掲げたわが国の戦後の急速な経済と文明の発展は、健康問題においても、飽食と運動不足による疾病が深刻な社会問題になっていた米国に急速に近づいていきました。そして、1964年の東京オリンピックを契機として、あたかも、健康と体力が同義語であるかのように、「健康づくりと体力づくり」という言葉が巷間にあふれ、全国のあちこちに、いわゆる「フィットネスセンター」が、競い合うように増えていきました。

 大阪では、日本初の国立競技場の国立トレーニングセンターと肩を並べるように、1967〜8年頃、大阪市立長居トレーニングセンターが、長居競技場の中に開設されました。(現在は、ミズノが運営管理)

 私は、開設準備期間中からトレーナーの教育・養成を担当し、開設後は、会員の指導にも当たりましたが、すぐに、大きな疑問と欲求不満を抱くようになりました。大阪で初めての本格的な公営のトレーニングセンターは大変な反響を呼び、連日多くの希望者が殺到しましたが、運動による事故を防止するために、事前に、血圧、心電図、検尿、内診などの健康診断を実施することになりました。担当の医師は、大阪市立大学保健体育科や医学部のいずれもスポーツ医学を専門とする教員でした。しかし、健康診断の結果、「運動禁止」の判定により、せっかく入会を希望した少なからぬ人々が入会できないという残念な事態を生むことになってしまいました。運動療法を時代に先駆けて研究し始めていた研究者も、いざ、医師としての責任を問われる立場になると、一般常識の枠から出ることが難しかったということです。

 私は、病床に臥しているわけではなく、平素は普通の生活が出来ていて、運動不足による不健康を改善しようと志した人々が、入会できないことに大変疑問を持つとともに、何の問題もない人より、むしろ少々の問題がある人こそ指導が必要である筈なのにと、事あるごとに主張していましたが、「誰が責任を…?」との言葉の前に解決策を見つけることは出来ませんでした。

 そんな思いを抱く中、ある学校法人の理事長から社会教育に貢献する一環としてフィットネスクラブを創りたいとの相談を受け、私の考えのとおりの内容にするという条件で引き受けることになりました。

 今でこそ当たり前になりましたが、1970年開設の当時では、おそらく私的な全国のフィットネスクラブの先駆けになったと思われる、心電図、血圧、尿、問診などの健康診断を取り入れ、しかし、医学的などんな異常所見が出ようとも全て受け入れるという体制を作りました。勿論、有所見者には細心の注意を払って、その状態に応じたきめ細かいトレーニングメニューを提供し、高血圧、糖尿病、心電図有所見者などに多くの運動療法の成果を上げて、学会や論文で発表することが出来ました。

 大学の授業では、保健教員とタッグを組み、これも全国の大学の先駆けとなる「特別健康管理コース」を開講して、本来なら「見学」で過ごしていた全ての学生に体育実技を受講させるという新しい試みを確立させました。医師から「運動禁止」という重い判決を受け、一生運動が出来ないものだと諦めていた学生が、初めて運動の楽しさを体感し、何よりも自信を持って社会に出て行くことができると感謝してくれたことは、私にとってもかけがえのない喜びでした。

 「床に臥さなければならない人以外の全ての人は運動が出来る!」というのが私の変わらぬ信念です。もちろん、病状やハンディキャップに対する十分な考慮や慎重さは必要ですが、いけないことは、身体の悪いところに生活の全てを合わせてしまうことです。一番悪いところに全てを合わせてしまえば、全てが一番悪いレベルに落ちてしまいます。悪いところを悪化させないように用心しながら、悪くないところのレベルを上げていくことによって、悪いところが改善されることは十分期待できることです。

 最近は、メタボからはじまり、ロコモ、サルコペディア、フレイルといずれも運動不足を起因とする症状に対する横文字が次から次へと生み出されていますが、いずれにしても、地球という重力のある世界に生存する動物の一種である人間が、良い状態で生命を維持するためには、死ぬまで重力に抗って身体を動かし続けるということが必須の条件の一つであるということです。

 しかし、私の言う運動は、決して、フィットネスクラブに行かなければ出来ないような特別なものではありません。

 まずは、歩くことです!坂道も階段も、ゆっくりでも、のったりでもいい、ひたすら歩き続けましょう!

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