随意随想

里山資本主義…僕のこぼれ話

関西学院大学教授 牧里 毎治

 「もったいない」を国際語にと尽力した元ナイロビ大学教授のワンガリ・マータイ。ケニア出身の環境保護活動でノーベル平和賞を受賞した女性だが、覚えている方も多いのではないか。2005年の環境問題を議論した京都議定書会議で来日した際に日本語の「もったいない」という言葉に秘められた意味を知って感動したとされている。環境問題でよく交わされる3R、Reduce(減量)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)にRespect(尊敬)を加えて、「もったいない」を提唱したといわれている。大量生産大量消費の悪い癖から抜け出ていない日本人には耳の痛い言葉だ。物が余りすぎて、焼却処分しないと経済的にも物理的にも流通が滞る日本消費経済社会、使い捨ての物品が相変わらず再生産され続けている現代の日本。いつごろから日本人は物を大切にしなくなったんだろう。豊かな社会にするには経済の規模を大きくして物や人の流通を多くする。売れなくなった大量の食材が廃棄されたり、大量に排出されるゴミ回収とゴミ焼却、そして大気汚染にオゾン破壊。地球規模で破壊されていく自然環境をなんとかしたいと悩んでいる人は多い。

 さて、今回のこぼれ話は、里山資本主義。ご存じのかたも多いだろうが、藻谷浩介氏とNHK広島取材班が出した『里山資本主義』(角川書店)のタイトルである。ベストセラーといってもいいほど売れ続けている問題提起の本から学んでみる。里山資本主義は、造語ではあるが、日本経済再生や地域活性化を考え直す好著である。マネタリズムの典型ともいえるマネー資本主義に対抗して考え出された言葉といっていいかもしれない。かつて日本人が丁寧に手を入れてきた山林や農地などの自然環境を見直して、休耕田や休眠資源を再利用して地産地消の地域循環型経済を取り戻そうという発想が里山資本主義の内容である。投資や貯蓄でマネー経済を動かすという発想ではなくて、人々が暮らす自然環境から得られる自然の恵みをもっと大事にした環境にも人間にも優しい地域社会を取り戻そうという試みでもある。

 里山資本主義の実例としては、岡山県真庭市の山中に放置された間伐材を細かく砕いて燃料用チップに加工し、それを燃料に発電をする「真庭バイオマス発電株式会社」とか、広島県庄原市の山の木くずを燃料にした簡易「エコストーブ」の開発と普及の事例があげられている。要するにゴミや不要物とされていた物の有効活用、再利用による自立したエネルギーの産出ということになるだろうか?そのほか同じ庄原市の「過疎を逆手にとる会」のメンバーが取り組んでいる「空き家」をデイサービスセンターに改造して運営する事業、自給のために作る食材野菜の余剰分をデイサービスセンターの給食の食材に納入する活動など、地域資源の再利用が行われている。このような古民家を改造してレストランや宿泊施設にリフォームして使われなくなった地域資源を活用する実践や耕作放棄地を都会の人たちに貸し出して新しい農園や菜園にする取り組みなどが全国各地でふえてきている。

 リフォーム(Reform)によるリニューアル(Renewal)ということになるのだろうか?いまある地域資源を使って、それも忘れられ見捨てられた地域資源に手を加えて再生する。3Rならぬ4Rもしくは5Rと呼ばなければならない。里山資本主義は、いまある地域資源の価値を見出して、地域社会に眠っている「資源」を地域住民の「資産」に変換しているのではないだろうか。マネー資本主義によってずたずたに切り込まれ、破壊された、地域社会の古き良き「おすそ分け」や「ふるまい」「おせったい」など助け合いや支え合いを復活させようとする運動にもみえる。古き良き慣習や習慣は、そのままでは持続させることはできないけれども、現代風に少し手を加えて、活用すれば、これまで価値の無いもの、置き忘れてきたものに光や輝きを取り戻すことができるという教訓を示している。まさしく地域資源に敬意を払い、それに手入れをし続けてきた「もったいない」の思想ではないだろうか?

 世界自然遺産は、自然が造りだした造形物ではあるが、その自然を後世に残そうとする人間の営みでもある。天然自然も手付かずの自然を保護するためには人間による持続させる意志がはたらかなければ、存続は不可能である。自然資源は、人間による手入れや価値を付与しなければ見捨てられ忘れ去られる無用の資源にされてしまう。中山間地の自然資源に限らず都会の建築物や構造物でさえ、そこに価値や意味の刷り込みが続かなければ、価値ある「資産」にはなりにくい。地域資源を「地域資産」に変えていく努力も地域社会の熱意と関心がわき起こらなければ成り立たない。地域資源を「地域遺産」に変換するには、今を生きる私たちが、まず「地域資産」に変える発想と取り組みがなければ、後世に「地域遺産」として残し譲り渡すことはできないだろう。里山資本主義は、暮らしや地域の文化を守り育てる運動であり、本当の豊かさとは何かを考えさせる願いでもあるように思う。

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