随意随想

人間福祉の再考 幸せを二倍味わう

関西学院大学 人間福祉学部教授 牧里 毎治

 私の所属している学部は人間福祉学部なんだが、あらためて人間福祉学あるいは人間福祉研究とはなにかを考えてみると、つかみ所がなくとらえ所がない。人間研究も人間学も人文学のような社会科学のような、なにやら哲学、倫理学などを連想もするが、はたまた文化人類学とかも思い浮かんでくる。もう一つの福祉学のほうは、社会福祉学や福祉社会学など学問らしくはなってきたけれど、社会福祉学、社会福祉研究も広い領域をカバーしているようで狭いし、専門職教育につらなる社会福祉教育に偏り過ぎているようで、狭い範囲に閉じ込められているようにもみえる。けっこう社会福祉をめぐる概念と実態は複雑なのである。最近は家庭福祉や地域福祉にはじまり、市民福祉や住民福祉、そして人類福祉とか世界福祉などの用語を使う人もいて、混乱を来していることもある。

 そもそも福祉の「福」も「祉」も幸せを語源としては意味しているようで、倍返しではないが、2倍の幸せを表している。幸福も2倍の「しあわせ」ということになるのだろうけれど、なぜ同義語を重ね合わせて用いる必要があったのだろう。随意随想ということでお許しをいただけるとして珍説を展開すれば、昔の人たちは2倍の2重の幸せを求めたからだ、ということにしておこう。たとえば、「冥福を祈る」と言うけど、これは冥土でも幸せにと哀悼の意を表しているわけで、現世の幸せとあの世の幸せを分けていた証拠ということになる。地獄に落ちないように極楽浄土の暮らしを願ったわけである。もう一つの解釈は、幸せは「仕合わせ」とも書くが、これは仕え合うという意味だから、人々が互いの幸せを重ね合わせよう、つまり支え合うことによって本当の幸福を得られると考えられたのだろうか。確かに自分の幸福だけ考えても幸せ感は得にくいが、他人の幸せを願って、あれこれ世話をすると幸せ感を獲得しやすい。

 とは言うものの、福祉の福も祉も「しあわせ」、あるいは幸福の幸も福も「しあわせ」、だと解釈する理由は、「しあわせ」という実体は、複眼的に読み取らなければ、理解できないものなんだということかもしれない。「しあわせ」は二重写しになっていて、片方から眺めているだけでは掴みづらいもので、表から裏から、前から後ろから、下から上から、外から内から観察しないと見えてこない。実は、福祉はダブル・バインドで二重構造からなっている。国家や行政が提供する福祉事業と民間団体が提供する福祉活動が混在していて、二つの支援が交わっているところが最も幸せ、サービス提供する側とサービスを受け取る側の感じ方、認識の仕方が二枚重ねで一致していたら最も幸せ、援助を受け取るだけでなく援助のお返しができる人間関係があるなら、その交わりが幸せ、などなど複眼的に見る眼をもてると、二重に交差するところに幸福や福祉が存在するのだろう。

 実は、人間という言葉も日本の倫理学を体系化したとされる和辻哲郎によると、今日的意味での人間、人類を意味していたのではなくて、世間や間柄を指す言葉だったらしい。『人間の学としての倫理学』によれば、「人間わずか五十年」「人間万事塞翁が馬」とか言う場合の人生、つまり「人である間」という意味、あるいは「世間」を意味したそうである。人間存在の日本的解釈をめざした和辻哲郎の意図とは別に、人間がまさに「人の間」人間関係を意味する言葉だったということは興味深い。つまり「人である間」「人の間」とは社会のことを意味しているのではないか、というわけである。人間が人間であるのは社会的存在として認知され承認されている必要があるし、また人間が「社会」という装置というか観念を必要として想像し利用しながら生きている。

 結局、人間福祉とは世間福祉、人生福祉ということになるわけだけれど、世間が人間関係を意味したとすれば、社会のなかでしか人間になれない人類、社会関係のなかで人間存在を証明しようとした和辻哲郎に乗っかるわけではないが、人が命あるかぎり、未来に夢をもって、現在を暮らし続けることを幸福な人生と呼べるなら、生活者としての視点から社会との関係を認識し、支援と援助をすることを人間福祉と理解することもできる。

 社会福祉学の泰斗、岡村重夫は、和辻倫理学を下敷きにしながら主体的存在としての人間個人を社会制度との関係性からその欠損や歪みを是正・調整するところに福祉性という固有性を求めたことで有名だが、生活者として生活困難や生活困窮を捉え、理解するところに人間福祉研究の核があると思える。

 命があるだけで人間になれるわけでもなく、人として生きていく、つまり社会人として生活していくことができることが幸福感を醸し出すのだろうし、大きな病気もなくやるべき役割があり、ごく普通に生活できることが幸せなのだろう。「人である間」つまり人生が「しあわせ」であったと思えるのは、生命、生活、人生のすべてを表すライフ、スーパーマーケットのライフではないけれど、ライフLifeの言葉こそ人間福祉の妙味が隠されているように思う。

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