随意随想

見守りと見張り…社会的孤立ゼロへの挑戦

関西学院大学教授 牧里 毎治

 一人暮らし高齢者や虚弱高齢者夫婦が急速に増えている。仕事や子育てから解放されて、安定した年金収入さえあれば、そして健康で元気でいれば、自由気ままな生活を楽しむことができる。しかし、外出したまま自宅に帰って来れずに行方不明になっている高齢者や自宅で孤独死する高齢者も跡を絶たない。これまでの日本社会では考えも及ばなかった事故や事件が相次いでいる。自分の家庭内で遭難したり浴槽で溺死する事故が起きている。孤独死、孤立死のなかには、心臓発作や脳卒中で家族以外の助けを求められず絶命する高齢者も多いらしい。無人島暮らしをしているわけでもないのに、なぜこんなことになるのだろう。ケータイ電話や位置情報付きの電子機器を持たされたりするけど、慣れない電子機器ではいざという時に使えないことも多い。置き忘れてたえず携帯してなかったり、落としてしまったり、危機的な状況に使えないことも多い。

 社会福祉協議会(社協)など一人暮らしの高齢者にいざという時の緊急通報サービスや救急車で搬送されるような事態に備えて、血圧や健康状態など個人情報を記載した円筒形の「安心キット」の有料配布などの取り組みがなされている自治体もある。自治体によっては認知症高齢者の行方不明を無くすために地域住民や商店街の皆さんに協力してもらって、高齢者が徘徊しているのではと疑われる場合にケータイ電話やケータイ・メールで知らせる「徘徊SOSメール」サービスなどを実施しているところもある。もちろん、一人暮らし高齢者や虚弱高齢者夫婦を定期的に直接訪問して安否確認をする、あるいは電話による友愛コールをする、夕食や昼食など配食サービスやヤクルトなど乳酸菌飲料を定期的に配達することを兼ねて安否確認をするという見守りサービスもある。しかし、いずれにせよ、高齢者本人もしくは家族や親族がこの種のサービスを申し込まなければ支援の対象にはならないのが通例である。サービスを知らない、サービスを拒否するという場合にはこれらの安否確認サービスが何の効力も発揮しないのである。

 見守り支援サービスを知らない場合には、詳しく情報提供すればことはすむが、問題は「他人に迷惑をかけたくない、ほっといてくれ」と支援を拒否する高齢者たちである。「自分たちはちゃんと生活できている、他人の世話にはなりたくない」と思う気持ちもわからないではない。確かに誰かに支援されるということは、自分一人で自立した行動ができなくなったことを認めるということであり、なかなか認めがたいことではある。一人で暮らすに至った背景には人にいえない家庭事情もあるだろうし、ましてや誰かの援助を受け入れることは困っていることを世間にさらさなければならない。これは辛いことだ。

 社会的孤立がさらに進むと、確実に社会的孤独に陥る。地域住民の支援のみならず社協や行政の専門的支援も断るというセルフネグレクトという自己放棄とでもいえそうな事態に至ることもある。いわゆるゴミ屋敷状態や極度の引きこもりなどは、当事者である高齢者が身の回りの冷静な判断ができなくなった社会的孤立の典型ともいえる。多くの場合、経済的困窮や精神的に不安定な状態にあり、放置できない状況ではある。経済的困窮よりも深い傷である社会的孤立や人間不信に陥っていて、絶望と諦めの底辺にいることが多い。他人を信頼することができなくなる「心の貧困」、希望と意欲がもてなくなる「願いの貧困」は深刻である。騙されたり、疑われたり苦い経験を積み重ねてきた人生を振り返ると、いまさら他人を信頼せよ、心を開いて他人の支援や厚情を受け入れたらと勧められても、その誘い自体が信用できないところまで追い詰められているともいえる。

 考えてみると、孤立しがちな高齢者に善意で愛情を捧げて、地域住民や行政職員、福祉専門職が見守りをするといっても、それは当事者の立場に立てば、監視されたり、見張られたりしている事態でもある。同じ行為なのに立場が代わればまったく異なる意味をなす。見回ったり、見張ったりする監視は、ある意味その対象となる人が危険人物であったり、面倒なトラブルメーカーであると見なすから生まれる行為なので、見守られたくないという心境は十分すぎるほど理解できる。虚弱高齢者に虐待がないか、悪徳商法を行っている不正な業者はいないか見張り、見回ることは、必要なことなのではあるが、問題を見つけて、しかるべき公的機関に通報することなので、見張りと見守りは密接に結びついている。

 見守りが本当の意味で生きてくるのは、地域の仲間として地域社会のかけがえのない住民として受け入れられている実感が醸し出される時だろう。地域にいて欲しくない人物として見張るという無意識の態度が感じられた時、だれもが見守りを拒むだろう。だれも見守られることで招かざる客のラベル付けをされたくはないからである。

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