随意随想
住み慣れた町でないところで
桃山学院大学名誉教授 石田 易司
大阪市では今65歳以上の高齢者の約半分が一人暮らしだという。一人暮らしは気楽であるが、寂しいということもあるだろう。それ以上に、毎日の食事や掃除、洗濯が大変である。様々な経験のある高齢者でも大変なのに、親にちゃんとしつけられていない高校生が一人で生きていくのはもっと大変である。食う寝るところに住むところを確保するだけでも大変だろうに、パソコンや英語やと、社会で生き抜くための知識や技術を身に着けるのはもっと大変。
高校というのはそうした若者を守り、支え、育てるところなんだろうが、先生だけでそれをするのはもう限界という感じがする。不登校、留年、退学、非行、家出、出産などなど、高校には問題が山積。先生の過労死や不登校が話題になる時代である。学校の先生が授業やクラブ活動の指導をしながら、課題を抱える生徒を支援するのはもう無理だという悲鳴も聞こえる。 スクールソーシャルワーカーという新しい職種が学校に配置されるようになったが、一人ではどうしようもない。その高校に足りない若者支援を、コミュニティ全体で支えられないかという試みが平野区で起こっている。もう3年目になるらしいが、「ひらの青春ローカリティ」というネーミングは意味を理解することが難しいが、高校生の抱える課題を学校任せにしないで、地域のたくさんの人の協働で支えようということなのだ。
例えば、U君。成績も悪いし、朝も起きられない。個人の家庭内まで詮索するのは今の時代よくないらしいが、朝起きられないから遅刻する、欠席する。朝ご飯を食べていない、お弁当は持ってこないし、洗濯もしていない毎日同じ服を着てくる。当然、家で勉強している様子もない。家庭の協力も全く得られそうにない。それで3年で卒業できなくて。6年高校に通っていた。
そんな様子を聞いたNPO法人が、学校と相談して空き教室で食事の提供をする。毎日あるわけではないが、店を開くと、U君だけでなく20〜30人の参加がある。先生でないNPO法人のスタッフが簡単な食事を出しながら、話を聞いて、必要なら個別に相談にも乗る。そのスタッフは精神保健福祉士など福祉の専門資格を持つ人もいるが、元引きこもりの兄ちゃんもいるのが面白い。
夕ご飯が心配だったので、近くのこども食堂にボランティアに行って、ついでに食事も食べてきたらという悪い知恵をつけたのは区役所の職員。でもその結果、学校でも家でも何をしているのか、どこにいるかもわからないU君が、こども食堂ではたくさんの小学生たちに囲まれて、アイドル状態。若いし、子どもたちにとっては身近な存在なのだろう。鈴なりになっている。その子どもの笑顔につられて、U君もいっぱいの笑顔を振りまいているのだ。
20歳になって、やっと高校は卒業したものの、当然就職はできない。そこで、区内の高齢者施設が、最初有償ボランティアとして、毎日食事ができる程度のペイをして、施設内の雑用などをさせてくれるようになり、おじいちゃん、おばあちゃんとも話ができるようになった。福祉施設職員の温かい気持ちにも触れて、やっと居場所が見つかった感じなのだ。今ではちゃんとアルバイトとして最低賃金を支払ってもらっているとか。そのお金でお菓子を買って、悠々とこども食堂にやってきて、子どもたちに配るUくんの姿はサンタさんそのもの。
こんな風に地域内のたくさんの人の協働で、U君は生きる意味を見つけた。これこそローカリティだと、首謀者は自慢気だったが、地域内の住民の協力をローカリティといっているのだろうか。ローカルが地域を指すことしか分からなかったが。
私たちが地域内で暮らすのは大きな意味がある。地域のことを「住み慣れた」という言葉で表す人もいるが、若者にとって、外国人にとって、病院から自宅でないところに退院してきた人にとって、災害で地域を追われた人にとって、刑務所から出所した人にとってなど、地域は必ずしも住み慣れた町ではない。その中で新しく隣人になった人たちと関係を築きながら、新しく暮らす町で自分の役割を探がそうと必死になっている人たちがいる。
あなたの住む町にもきっとあなたの力を必要としている若者がいるに違いない。外国人もいるし、刑務所から出てきた人もいる。何かで役に立ってみませんか、あなたの暮らす町で。そこに元気な高齢者が地域で暮らす意味の一つがあると思う。