随意随想

人口高齢時代の空き家問題

関西学院大学名誉教授 牧里 毎治

 田舎でも都会でも老朽化した空き家が目立つようになった。これまでの経済成長の時代には住宅不足や低所得層の危険老朽住宅が社会問題にされたことはあったけれど、居住する住民がいなくて、家屋が放置されたり放棄されたりすることは稀なことだといってよい。

 いや、過疎地域や中山間地では廃墟住宅や耕作放棄地が過疎問題の典型として語られたことはあった。今や、一部の地域だけではなくて、全国的に空き家問題が深刻な課題となってしまった。人口減少と人口流動という大きなうねりと人口高齢化というトリプル・パンチを食らったような全国的な動向が空き家、空き店舗、空き倉庫という社会問題を引き起こしているように見える。空き家問題の先行きは依然として霧に包まれたままである。

 空き家問題の多くは持ち主の死後、親族の相続放棄に端を発しているらしい。2018年の相続放棄は約21万件だそうで、10年前の1・5倍にもなる。特に地方で相続放棄が顕著で、理由は地価の低下と住む予定のない親の家屋であったり、引き継いでも売れない遺産だったり、疎遠になった親族関係が影響しているらしい。相続するのは不動産や預貯金だけではなく借金や負債なども受け継ぐのである。朽ち果てた家屋を相続しても解体して更地に戻すのは相続人の責任で、それには相当な費用も負担しなくてはならない。相続放棄しても空き家の管理責任は相続人にあるそうで、危険家屋の倒壊や損傷で人身事故や火災、不審者による悪用の類も責任が問われることになる。行政も地域自治会も家屋や土地が私有財産である以上、処分や処理の費用発生もあり、勝手に手出しができない。

 子孫に美田を残さずと先人たちは語ったが、戸籍上の親族関係があるだけで実質的な人間関係がなくなっているのに、ある日突然、負債となる家屋の管理責任があると知らされてもどうにもならない。資産持ちの高齢者が肝に銘じておかなくてはならないのは、子孫に負債や借金を残さないのみならず、処分に費用や手間のかかる空き家を残さないことかもしれない。就活ならぬ終活という言葉が流行ったこともあるが、人生の終わりをきれいに掃除して、あの世行きの支度をするのも資産持ちの高齢者の責務かもしれない。所詮、資産持ちの戯言と非難する人もいるだろう。賃貸住宅にも住めない生活困窮者にとっては厳しい現実を知らないと叱られそうだが、持てる者の現代的な悩みのひとつかもしれない。

 すでに紹介したこともあると思うが、個人住宅を地域の集い場、居場所として地域活動に提供する人も出始めている。地域の茶の間、寄り合い所、住民迎賓館、地域食堂など、名称はさまざまだが、個人資産であるけれども、機能的には地域の資産として活用されている。老夫婦の住まなくなった農家だったり、宅地相続するには邸宅を解体しなければならない空き家だったりするが、地域活動の拠点がない住民団体にしてみれば、有難い申し出である。空き店舗や空き家住宅を若者やNPOなど貸し出すマッチング事業も生まれつつあるが、必ずしもうまくいっているわけでもない。家屋の使いでもあるが、立地場所や耐久年数などとともに、提供する有期期間の設定や準公共的に使用する場合の固定資産税の減免など行政施策とのジョイントが重要といわれている。確かに提供期間や個人資産の準公共的な利用に関する税の減免や賃借料の補助制度などがあれば、空き家を提供したい人は増えるかもしれない。

 「もったいない」という物を大切にする美しい振る舞いが日本社会には残されていると世界に紹介してくれたのはワンガリ・マータイさんだが、金回りが悪い低成長経済の日本社会でも資源や資産は住宅物件をはじめ有り余っているのではないか。現代日本の問題は、豊富な資源や資産が個人所有に留まっていて、地域で共同利用したり、共同で活用する資源や資産が乏しいのではないかと思うのである。公共的な資源や資産の確保と提供は、行政の責任ではないかという考えもあるが、準公益的な目的をみたしたり、共益的な目的の達成のためには使われていない資源や資産を社会的に活用することがあってもいい。個人資産の空き家を改修したりして、地域住民の活動に提供することは有益な地域貢献の一つである。つまり、私的な既存資源を有効活用する社会貢献なのである。

 個人の視点からみても、人生の魁(さきがけ)と殿(しんがり)があるとすれば、人生の後始末を人生の殿にしっかり準備することが人生100年時代を生きる現代的テーマとは言えないだろうか。自然から取り出してきた資源を人間に都合のいい資産として蓄積してきたが、それらを有効に活用するリユースやリサイクルは地球にやさしい生き方ではないだろうか。人生における上り坂と下り坂を想定するとき、資産を取得する上昇と資産を手放す下降の人生プロセスをなだらかな放物線として描くことも可能である。個人資産の遺贈や寄付寄贈の行為は、空き家問題を人生の生き方として再考させる良い機会となった。

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