随意随想
新型コロナとインフォデミック
同志社大学教授・運動処方論 石井好二郎
皆さんはインフォデミック(infodemic)という言葉をご存知であろうか?インフォデミックとはインフォメーション(information:情報)+エピデミック(epidemic:流行)を組み合わせた造語で、「情報が感染症のように拡散する状況」との意味である。新型コロナはまさしくインフォデミックによって社会に混乱を生じさせた。
筆者は医師ではなく、感染症学やウイルス学の研究者ではない。スポーツ健康科学が専門であり、競技力向上や体力向上、健康などの目的に対して、運動をどのように処方するか(運動処方)を研究している。その筆者が、新型コロナウイルス(新型コロナ)の特徴や感染事例を調べるようになったのは、以下のような経緯があった。
筆者は米国の新聞を数社WEB購読している。その理由は、運動処方に関連する情報を米紙は頻繁に発信しており、いち早く、研究の動向を知り得ることに有効だからである。新型コロナが米国でも感染拡大し始めた3月、フィットネスジムでクラスターが発生しジムが閉鎖され、多くの人々が屋外でのランニングを中心とした運動に移行していることが報道された。ソーシャルディスタンスが保たれていれば安全に実施できる「パンデミックに最適なスポーツ」としてウォーキングやジョギングが紹介されていた。ほとんどの国ではコロナ禍での「してはいけないこと」「するべきこと」「できること」が公表されていた。屋外でのウォーキングやジョギング、ペットの散歩などは「できること」として扱われており、ウォーキングやジョギングする人が増え過ぎて公園を閉鎖する例や、外出するためにペットを貸し借りする人がいることなどが報告されていた。何とか外出しようとする人々が多いようで(これは欧米共通のようである)、それに対し、「Stay Home(そんなに出かけず家にいようよ)」が呼びかけられていた。
3月11日のWHOからのパンデミック宣言後、厳格なロックダウンを敷かなかったスウェーデンを除いて、欧米各国の人々の歩数が激減していたことが、米カリフォルニア大学の研究者らにより9月に報告された。興味深いことに、日本はパンデミック宣言前より緩やかな歩数の減少が認められており、パンデミック宣言前と比べた歩数の変化率が15%減に至るまでの日数は24日と欧米各国(5〜17日)より長い日数を費やしている。しかも、日本の緊急事態宣言は5月14日であり、欧米各国のようにパンデミック宣言・ロックダウンを契機に歩数が減少する様相とは大きく異なる。また、ロックダウン解除後には欧米では明らかな歩数の回復傾向が認められるのに対し、日本はわずかな回復傾向しか認められていない。何処か、周囲を様子見しながら歩数を減らしていき、また、恐る恐る周囲を確認しながら歩数を増やしつつあるように感じる推移である。
日本での外出自粛は「要請」であったため、「してはいけないこと」「するべきこと」「できること」が公表されず、「不要不急」という曖昧な表現で自粛の線引きがされた。外出することを悪と捉え、他府県ナンバーの車への嫌がらせが頻発した。屋外で周囲に人がいない状況でマスクを外している人にわざわざ近づいて注意したり、通報したりする人も現れた。自粛警察・マスク警察と呼ばれる人々が頻発した。やる側は間違いなく自分を「正義」と思っていたであろう。外出自粛やマスク着用は感染拡大防止の手段であるはずなのに、「達成すべき目的」と、いつしか手段と目的が入れ替わってしまっていることに気づいていない人々が増えたことを痛感したものである。
連日のマスコミによる新型コロナの恐怖を煽る報道や風評が、あっと言う間に人々に伝染した。そして、「正義は自分にある」と思っているので攻撃的になってしまう。他にも指摘することが「正義」となり、自分の正義を振りかざして他者を貶める行為は、至る所で見受けられた。
作家の遠藤周作氏(1923―1996)は、自らのエゴイズムや優越感に気づかず、他者への思いやりや優しさを忘れたまま、自分の正義を振りかざす人を「善魔」と呼んだ。「自分以外の世界を認めないこと、自分の主義にあわぬ者を軽蔑し、裁くというのが現代の善魔なのだ」との遠藤氏の言葉は、コロナ禍でウイルスとは別に我々が対峙すべきものが何であるのかを示唆している。