随意随想
絆づくりと活動の場
大阪ソーシャルワーカー協会会長 大塚 保信
まだ東の空からお天道様が顔を出されていない早朝から、以前より依頼されている出版物の原稿執筆にとりかかっていた。書斎の窓を木枯らしがうねり声をあげて叩きつけるが、締め切り日にせかされ、執筆に没頭していると、そんな音もやがて耳から消え失せていく。売れっ子の流行作家でもないのに、ときには頭に鉢巻をまいて書斎に長時間とじこもることもある。もっと早くに筆を下ろしていたら、こんなにアタフタすることもないのにと悔いることがしばしばである。数年前まで大学で教員生活をしていた頃も雑多な業務に日々追われ、夕飯後に慌ただしく書斎に飛び込み、深夜まで、時には明け方近くまで閉じこもる状況に追い込まれていた。それでも原稿内容にめどがつくと、不思議なことに今度は筆の方が先に書き手の私を導いてくれるようなこともあった。人には昼型人間と夜型人間があるとよく言われることがあるが、その分類に従えば小学校の頃から今日に至るまで、私は間違いなく夜型人間に属している。今でも、よほど急ぎの提出物や原稿でもない限り、お天道様が顔を出しておられるお昼の時間帯にはなぜか書き物の筆が進まない。夕飯をゆっくりいただいてから、やおら書斎に閉じこもり調べものをしたり、原稿執筆にとりかかるのが長年の習性というか生活リズムになってしまっている。世間で言われる夜型人間の典型の一人であることはまちがいない。しかしながら、締め切り日が迫っているのに一向に思ったように原稿用紙のマス目が埋まらず、突然時間が止まったかのように筆が立ち往生してしまうこともある。暖房がほどよくきいていて室内は快適な温度であるにも関わらず、急ブレーキがかかったように筆が止まり前へ進まなくなったときは、額や脇の下から冷や汗が滲んでくる。ひと息つくためペンを置いて窓の外に目を移すと、いつの間にか辺りはすっぽり朝霜につつまれ、幻想的で、いつもとは全く異なった光景が目に飛び込んでくる。そんな時はいつでも、寒いなかよく朝まで頑張ったねと神様が内緒で私だけに下さった贈り物だと思っている。机の隅には妻がそっと置いていってくれた魔法瓶の温かいお茶と有名店のお菓子が添えてあり、それが何よりのご褒美である。人には日中に活発に活動する「昼型」の人と、太陽が西の空に隠れた頃から妙に元気になり、その頃から仕事や勉学に励む「夜型」があると言われることがある。その分類に従えば紛れもなく私は夜型人間の典型であろうと自認している。日常生活を営む多くの人は職場での勤務や学校への通学があるので必然的に昼型に属し、比較的早く床につき規則正しく日常生活を送っておられるに違いない。私が夜型人間になったのはいつの頃かと振り返ってみると、実は小学校時代にまでさかのぼる。たしか5年生の時、「将来に住んでみたいと思う家の間取図を描いて提出するように」との宿題が出た。よく宿題を忘れるというか、さぼり癖のある出来の悪い小学生であったが、この時ばかりは「よし頑張ってみよう、日頃の名誉挽回のチャンスだ、担任の先生やクラスのみんながびっくりするような宿題に仕上げてみよう」と思い立ち、とびきり大きな方眼紙を買ってきて、まだ東の空が明けるまえの早朝から取り組むことにした。あたりは漆黒の闇に閉ざされ、行きかう人もなく通りを走る車もほとんど見当たらない。それでも両親はお正月の元旦から盛夏のお盆の日も一日も欠かさず毎日朝参りにでかけるのが日課であったので、いつも寝坊の私が朝早くから起きているのを見咎め、即座に「また今日もおねしょうをしたの」と尋ねた。あらぬ疑いを晴らすため、早朝から苦心して取り組んでいる宿題を見せて説明すると、安堵した笑顔で朝参りに出かけていった。いつもは寝坊ばかりして、ふとんをはぎ取られそうになっても、渾身の力で抵抗してふとんから起き上がらない私が、この時ばかりは一念発起し、漆黒の闇に包まれ、まだ冬の夜空が明けきらぬ早朝に起き上がり、東の空がすっかり明るくなるまで一心不乱に課題の宿題に取り組んだ。課題というのは「将来どんな家に住みたいか」を図面に書くことであった。珍しく努力して取り組んだおかげで、思わぬことに先生からたいそう高い評価を頂いた。信じてもらえないかと思うが、その後、学生時代に誰の手も借りずひとりで小さな家を建てたことがある。猫の額というより、生まれたての子猫の額ほどの狭い空き地が家の片隅にあったので、アルバイトのお金をためては少しずつ木材を買ってきて、建築に関する書物を片手に、自分ひとりでコツコツと小さな家を建てたことがある。買いためた多くの書籍を収納できる勉強部屋と寝室をその空き地に完成させた。そして入口には「法学研究室」とたいそうな看板をかかげた。友人達も放課後によく立ち寄って来て、やがて自然発生的に研究会が成立した。週に一回の研究会では、当時発売されたばかりなのに瞬く間に全国にひろがったインスタントラーメンに舌づつみを打ち、順番に研究課題を発表し、活発な討論が展開された。その時に得た知識や情報がその後の教員生活の礎を支えてくれたこともある。友人関係の深くて固いきずなは50年経った今でも変わることなく続いている。商売や仕事で成功し巨万の富を手にした人でも、人間関係の絆は、お金や自分ひとりの力だけではそうそう簡単に手に入らない。ところが全国津々浦々の生活圏には「絆づくり」と「活動の場」が必ずある。すでにお気付の如く「老人クラブ」の存在と日常のたゆみない会員の活動である。